ゴルバチョフ元大統領が亡くなった。
その後の過酷な経歴と年齢を考えると、ずいぶん長生きをされたと思うが、親しくしていた人が示唆したように、今のロシアに絶望して生きる気力を失ったのではないか。
悔しかったろうと思う。
ペレストロイカとグラスノスチ。ゴルバチョフはその改革によって、西側世界のような自由で民主的なロシア(ソ連)を夢見た。彼が冷戦を終結させた最大の政治家であることは間違いない。
でもそれは、ロシアにとっては敗北でもあったのだ。国民の多くが冷戦の終結を、ゴルバチョフが構想した、ロシアの新生の歴史としてよりも、偉大だったソ連の敗北と消滅の歴史として、胸に刻んでいった。希望よりも失望と屈辱の方が育っていった。
プーチンはそれらの遺恨を何世紀にも溯ってかき集め、怪物になった。
ウクライナ侵略は、ゴルバチョフが創ろうとした改革と自由と平和による世界での共存の夢を、再び粉砕してしまった。
それは天安門広場でも見られた”誤った夢想”として、消されつつあるように見える。
息を引き取るとき、ゴルバチョフ氏の脳裏にはどんな光景が浮かんでいたのだろうか。
花を置いたあと、その死顔をしばらく見つめていたプーチンのまなざしは暗かった。
老いた政敵を幽閉状態に置いて復讐を遂げた思いだったのか。その小さな勝利を人々に見せたかったのだろうが…。
ウクライナ侵略の後、世界がロシアに望んだのは、この独裁者が失脚し、1人の英知をもつ人物 ― まさにゴルバチョフのような人 ― が出てきて、あのような政策を打ち出し、ロシアを世界に向けて開いていくことだった。そして今でも私たちは、それ以外の希望的構想を描くことができないでいる。そうであれば、ゴルバチョフの夢はまだ生きている。
二人のまなざし、未来に向けたあの明るいまなざしと、過去に向けたこの暗いまなざし、 その違いは消すことはできない。