窓辺の机

窓辺の机から世界を夢想

戦争 ―「 過ち」とは?

 ウクライナの戦争も半年になり、世界も人々もだいぶ麻痺してきた。

 始まったころは、戦争というものがいかに悲惨で許せないものか、テレビの生の映像を見せつけられ、実感した (それでも、もっと悲惨で残酷な現場や遺体は放映されなかった)。私たちは戦争というものを改めて憎み、21世紀にもなってこんな愚かな所業が国連の常任理事国にような大国によってなされることに、衝撃をうけた。

 日本では、原爆や終戦を追悼する季節がやってきて、戦争の悲惨さや愚かさを取り上げる番組が組まれる。追悼式典は欠かせない年中行事となっている。その時刻にサイレンが鳴り、黙とうし、花を捧げた祭壇に、「過ちは繰り返しません」と誓う。
 時節の墓参や法事もそうだが、儀式化されることで、人は追想や問いにあまり悩むことなくルーティンを済ませ、その場を離れれば忘れて日常に戻ることができる。そういう場所と儀式も、魂の健康には必要である。

 太平洋戦争は、日本にとって完璧な敗戦であり、膨大な死傷者と廃墟ばかりが思い浮かぶ、二度とあってはならない愚かな所業、の最大のものとなっている。では、「繰り返さない」と誓った「過ち」とは、どういう過ちだったのだろうか。

 あの戦争が勝っていたらどうなのか? ― そんな想定は、坂道を転げ落ちるようなあの戦争の展開の記憶が消せず、とても無理があってできない。「勝つか負けるかではない、戦争自体が間違っているのだ」。―そういうことだろう。
 では、その前の日清戦争や日露戦争はどうなのか? 多くの犠牲者も出したが、それらの戦争で日本は大国に勝ったというので世界から驚かれ、自分たちも歴史的偉業のように思っているところもある。南下するロシアへの自衛という言い方もあるが、元寇の時のように一方的に攻められて防戦した、というのでもない。いずれにせよ、ユーラシアの半分以上を占める二つの帝国に勝ち、大陸に進出する足がかりを得た。明治国家は雄々しく立ち上がり、列強の仲間入りを目指して自信をつけていった。第一次大戦はヨーロッパが主戦場だったが、日本は有利な結果を得た。
 そのように、昭和の太平洋戦争も、同じ理屈や感情で国や国民は動いたのではないか。明治以来の「勝った」戦争の川の流れに掉さしていったのではなかったか? 

 その時期になるとテレビは「戦争の悲惨さと絶対悪」を訴える番組を流す。でも普段は「戦さ(いくさ)」ものは結構好まれていて、大河ドラマでは昔から「戦さじゃー!」と盛り上がり、歴史番組では戦国時代がワクワクする話を提供する。もっともあの時代はいくさが常態あるいは平時だったのであり、今のスポーツ、いやそれ以上に国家(お国)イベントの中心だったろうか。✻1.

 ともかく今年も追悼の日が来る。ここでは私たち(日本国民)は、あの戦争で犠牲になった兵士や国民を悼むのだが、その戦争の犠牲者には、連合軍側の兵士は無論、巻き添えにした膨大なアジアの人々もいる。その人たちはいまだに追悼の対象に含まれていない。「過ち」が、負けた(あるいは、あんな悲惨な負け方をした)戦争ではなく、戦争をしたことそのものにあるのなら、その戦争で犠牲になったすべての人々のことを悼むべきではないのか。そのことと、戦争責任が誰にどれくらいあるのかという問題はすぐにつながらない。”過ちを認めれば補償に関わる”という発想には、初めから悼みなどない。
 「二度と繰り返さない」という過ちへの贖罪や誓いや追悼が、これまでのように日本国民という大家族のことしか念頭にないのなら(靖国はそのシンボルだ)、やはり我々はまだ、戦争をしていたときとあまり変わらないたたずまいなのではないか。

✻1.昭和の戦争が明治の戦争からの流れにつながっているなら、それは戦国時代の戦(いくさ)にはつながっていても不思議ではない。それは改めて考える。