コロナへの規制が解除され、気持ちのいい季節になって、世界でも日本でも、街角や観光地に人出が戻ってきた。
コロナはまだくすぶっていて、冬にむかって次の波が心配だが、このままうまくいけば通常のインフルエンザのようになりそうな気配もある。3年前までのあの日常が戻り、食事や旅行やコンサートに行けるのだ。それは、それまでは当たり前と思っていた平和な日常で、この世界的なパンデミックの中でそれがいかに貴重なものであるか、私たちは改めて思い知った。
そういう平和な日常生活が戻っても、わたしたちの人生には多くの難題や宿命がある。地震や洪水などのさまざまな自然災害はなくなることはなく、地球温暖化でますますその規模は大きくなっている。拡大する不平等、エネルギー問題、少子高齢化、増える借金など、社会や経済への新たな課題もある。
また老いや病気や事故は、どんなに文明が進歩して理想的な社会ができても、避けることのできない宿命である。
そのような難題や宿命と向き合いながら、私たちは平和な日常性活という場所を、個人と社会で(親しい人たちと、知らない人々どうしで)力を合わせて守っていかねばならない。
それなのに、そういう平和な日常生活に侵入し、ミサイルや戦車で破壊していく国がある。逃げ惑う人々を追い回して殺戮していく。額に汗して働き、家に戻ってひとときの安らぎを得、また明日の難題に立ち向かう、誰もが我慢したり助け合ったりして支えているそうした日常を奪い、破壊していく。自分(たち)の目的や欲求を、戦争という手段で達成しようとする国家と権力の意思。防ぐことが容易ではない、あるいはできない災厄がこの世の生には尽きないのに、防ぎ、やめることができるそのような災厄を作り出す人間たちもいる。
私たちはこれらをも、人生と社会にともなう不可避の難題や宿命に加えなければならないのだろうか。