窓辺の机

窓辺の机から世界を夢想

冷戦は終わっていなかった

                         「ひとつの地球」は幻想なのか?/

”冷戦終結・冷戦後”という歴史区分/

 少し前までは「冷戦終結(冷戦終結後)」という歴史区分が定説のようになってきた。1989年のベルリンの壁崩壊とその後のソ連解体により、20世紀の後半を特徴づけた対立が終わり、世界は次の歴史ステージに入ったのだ、と(「グローバル化の時代」の始まりなど)。

 だがそもそも、「冷戦」は終わってはいなかったようなのだ。
 ひとつは、ロシアによるウクライナ侵攻である。ソ連は解体したが、その混乱から復活したロシアは、過去の栄光の再現を目指す選択をした。終わったはずの冷戦の火種はまだくすぶっていて、再発火してしまったかのようである。ヨーロッパとロシアが一挙に分断し、亀裂と壁が急速に再現された。これは一時的な危機ではなく、かなり長期に及ぶ構造的な変換の様相を呈している。
 もうひとつは、これで生まれた国家グループの対立の風が地球を回り、冷戦の東側の前線だった東アジアに到達し、そこで燃え続けていた火に酸素を供給し始めたことである。朝鮮半島と台湾。そもそもここでは「冷戦終結」などしていなかったのだ。 その意味で「冷戦終結」とは、ヨーロッパ中心の歴史時間ともいえる。

 これは東アジアだけではない。中東、アフリカ、中南米、南・東アジアなど、欧米以外の世界の多くの地域でも、濃淡の違いはあれ、冷戦からの火種のくすぶりは消えていなかったように見える。今回のロシアへの制裁に世界の多くの国が賛同せず、温度差があるのは、そのような「西側」との歴史時間の違いがあることを示している。

東アジアの冷戦の続き

 ともあれ、東アジアの国際政治体制は冷戦体制から基本的に変化していなかった状態だったのが、再び緊張化し、再燃の気配さえある。

1.朝鮮半島の分断と対立。
2.台湾と中国の分断と対立。
3.中国と米・日(<西側))の対立
4.ロシアと米・日(<西側))の対立
5.中ロの接近

日本と東アジアの歴時時間

 朝鮮半島と台湾は、かつて日本が植民地支配した国であり、米ソ冷戦以前からの因縁が絡んでいることを忘れるわけにはいかない。
 拉致問題の進展がいかに困難かということを通じて日本人は、北朝鮮という国、そして朝鮮半島の問題がいかに困難な問題であるか、それがもつ地理的・歴史的すそ野の大きさを体感的に知っている。
 日本人は敗戦以来、アメリカの占領政策に甘えながら(J・ダワー:〔1〕)、朝鮮半島での植民地支配やそこで繰り広げられた悲惨な朝鮮戦争をスルーし、自国の戦争の記憶、自国の復興と発展に視野を限定してきた。朝鮮戦争は「特需」にさえなって戦後復興のバネになった。「もはや戦後ではない」という言葉さえ忘れた日本人は、朝鮮半島からいつまでも送られてくる反感の根深さに当惑するが、そこはまだ「戦後」ではないのだ〔2〕

 台湾は、その距離と、間に沖縄という別の喉のトゲのような存在もあり、朝鮮半島とは異なる地理的・歴史的経緯もあって、反日感情は大陸ほどではなく、それゆえ歴史的な体感はもう少しゆるい(鈍い)ものだったように思える。

 いずれにせよ、大陸の端っこにあって孤立しているのに、日本のお隣の国々(朝鮮半島、台湾、中国、ロシア)はどれも近くて遠い国で、足が遠のいてしまっている。日本人の体はと心はもうすっかりその反対側、広大な太洋の彼方にあるアメリカやヨーロッパに向いてきた。

 もっとも、隣り合う国はむしろ仲が悪く、警戒心の方が勝るというのは、世界でもたいていそうだった。特に国家が成長して力をもつ時代にはたいてい、隣通しから戦争になった。近代文明の鋳型を作ったヨーロッパがその典型で、その成長と発展は戦争の歴史でもあり、その土地は飽くこともなく膨大な血を吸ってきた(フランス国歌などはそれを鼓舞さえしている)。EUというのは、そのような隣り合う国の対立を、ある範囲内(キリスト教文明圏といった)ではあるが、なんとか解決しようとする画期的な試みではある。

新冷戦/冷戦の続き/第二幕…?

 ともかく、21世紀になって、人類はひとつの地球を共有し、新しい時代に向かって歴史を前進させた、ように思ったたが(H・ロスリング:〔3〕)、あの分断と対立の歴史はそう簡単に終わってはいなかったようである。


〔1〕ジョン・ダワー『敗北を抱きしめて』

 日本が国家崩壊まで戦ったのは、大陸側とは反対のアメリカだった。そのアメリカに完膚なきまで叩きのめされ、占領され、国家の指導者も処刑された。けれども日本はその敗北を占領軍アメリカとともに「抱きしめ」、アメリカ国家とその文明を模範として追いかけていく。

〔2〕前の冷戦を今でも戦っているのは世界でもここだけである。日本の植民地支配が、朝鮮半島の民族自決と国家建設を遅らせてしまった、ということはないだろうか。”(日本の進出は)アジアの近代化に貢献した”という修正主義者の主張もあるが、少なくとも政治に関しては非協力的であり抑圧的でさえあったろう。何より、軍隊を派遣したという事実は修正しようがない。

〔3〕ハンス・ロスリング『ファクトフルネス』