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鶴岡路人『欧州は目覚めたのか』 ― 要旨と注釈

 

鶴岡路人
『欧州は目覚めたのか』― ロシア・ウクライナ戦争で変わったものと変わらないもの
(東京大学出版会『ウクライナ戦争と世界のゆくえ』2022年8月所収) 

 ロシアがクライナを侵略してから1年になる。バイデン大統領がキーウを電撃訪問し、プーチンが年次教書演説をした。戦況とこれをめぐる国際情勢は基本的に変化なく、長期戦の様相となってきた。世界は、コロナ禍を脱しつつあり、ウクライナ戦争も関心が日常化しつつあるなか、それをめぐる国際情勢の緊張と危険性はむしろ少しずつエスカレートしている。
 鶴岡氏(✻1.) のこの論文は、ウクライナ侵攻から半年の時点で書かれ、現在はそれから半年経っているが、その論点はほとんど今でも当てはまる。以下、その要旨と注釈で、これまでの主流と、これからの流れを考えていきたい。
 ✻1. ちょうど氏の著書が出版されたばかりである。『欧州戦争としてのウクライナ侵攻』(新潮選書)
   2023.2.20

要旨と注釈

はじめに(p.31-32)

 ウクライナ戦争は、特に欧州に衝撃を与え、ドイツの政策転換、フィンランドとスウェーデンのNATO加盟、EUのウクライナ支援と武器供与など、冷戦後のみならず、第二次大戦後の欧州国際秩序と安全保障の根本的な変更という歴史的転換点をもたらした。

注 1. 「冷戦後のみならず、第二次大戦後」の「歴史的転換」という見方に賛成だが、これは「欧州」だけでなく、世界に波及する歴史的転換ですらある、と思う。

1. ドイツの「転換点」(とその限界)(P.32-34)

  ドイツの社会民主党はこれまで、エネルギーを中心とした関係強化が欧州の安定にもなるという宥和政策で、ロシアとの関係を重視してきた。しかしショルツ政権はウクライナ侵攻でこの方針を撤回、ノルド・ストリーム2の停止、ウクライナへの武器供与、国防費増額(2%)を打ち出した。それはしばらく迷走するが、政策の大転換であった。

注 2.  宥和政策 
 メルケル前首相は長期にわたり国際的な存在感と指導力を発揮してきた。東ドイツ出身ということもあったか、ロシアや中国とも関係を促進してきた。エネルギーや経済での関係促進は、統一ドイツの復興と発展も促した。今回の侵攻で、その政策への批判も出た。しかしそれはドイツのみならず、冷戦終結後のグローバリズムにより、旧共産圏や第三世界を自由市場経済と民主主義に取り込んでいこうという、西側世界が思い描いたプランでもあった(このイデオロギーはまだ続いている)。アメリカも中国に期待し、積極的な宥和政策で関与してきた。しかし現在は、その失望への反動的な反応に転じている。

注 3.  制裁の姿勢や殺傷能力のある武器供与(特に戦車)で慎重だったドイツも、1月、戦車供与に同意した。

2. NATO 加盟に向かうフィンランドとスウェーデン(p34-38)

 両国はそれまで、対外的に「中立」あるいは「非同盟」であったが、政治的自由、人権、民主主義という価値では常に西側であり、冷戦後から EU や NATO との関係を強め、協力関係を築き、加盟の条件は整っていた。
 ロシアは「NATO拡大」阻止でけん制してきたが、2月のウクライナ侵攻で加盟への動きが決定的になる。
 両国の加盟でNATOは強化され、対ロ抑止・防衛体制など、同盟全体の安全保障はバルト諸国との連携とともに強化されることになった。
 これに対しトルコは駆け引きをして存在感を主張したが、最終的に合意。

注 4. 「NATO拡大」へのロシアの反撃がウクライナ侵攻だったともいえるが、結果的にそれがさらにNATO拡大強化を招くことに(”プーチンのオウンゴール”)。後から見れば、この両者(EUとロシア)の対立の流れは、「冷戦終了」後から始まっていたわけである。

3. エネルギーの「脱ロシア」にむかうEU (P.38-39)

 欧米は経済制裁とともに、石炭、石油、天然ガスの脱ロシア化に舵を切る。大手産業もロシアから撤退。
   これはむろんEU側にも高い代償が伴う。しかしこれは、欧州が主導してきたグリーンエネルギー政策の後押しにもなる。

注 5.  「化石燃料依存からの脱却」という戦略は欧州の中心的な政策となりつつあったので、「対ロ依存脱却」は、その期間をいかに短縮できるか、という技術的な問題である。

4.維持されるNATOの中心性 (P.39-40) 

 NATOの集団安全保障は米国を軸に維持され、北欧、東欧へとさらに拡大強化されていくことになった。
 その拡大強化が分断をもたらすとの指摘もある。しかし「ロシアとの」安全保障(の模索)から、「ロシアからの」安全保障への転換、を招いたのはロシアである。
 「NATOの拡大と分断」に批判的だったケナンやミアシュマイアーの議論もある。しかしこうした論点は大国主義的であり、「ロシア・ファースト」であろう。

注 6.  これは重要な論点。
 著者が言う「大国主義」「ロシア・ファースト」とは、欧州や西側の国際秩序と安全保障を、ロシアと国境を接する国(北欧・東欧諸国)よりも、大国ロシアとの関係の方を優先して求める考え方である。
 大局的なリアリズムではそうなるのだろう。その見方は「ロシアの緩衝地帯」という観点を重視し、西欧からも度々侵略されてきたロシアの歴史や願望を事実として「理解する」ことであるが、ロシアへの理解という傾斜も持つことになる(日本にもそのような論者もいる)。しかしこれは、「緩衝地帯」とされる国のことを軽視している。緩衝地帯として「中立」となった方が安全保障に資するとしても、また、”占領・征服するつもりはない、向こうの味方にならなければいいのだ”と言われても、それは、そこを挟む両者を起点とする論理である。主権をもつ独立国家なら、どのような選択をするかは自由なはずである。

 ミアシュマイアーの論点(「悪いのはロシアではなく欧米だ ―プーチンを挑発した欧米のリベラルな幻想」2014; については稿を改めるが)は、ウクライナでの2004年のオレンジ革命から2013年のマイダン革命とその後のクリミア侵攻に至るまでの混乱を、“NATOの拡大政策、西側のウクライナへの過剰な関与が、ロシアの反抗を招いた”とするものである。その論点はプーチン・ロシアの主張でもあるが、その後のウクライナへの全面侵攻を予測するものにもなっている。
 このような論点もあることは認識すべきだし、一度これで「西側の論点」を相対化すべきだろうが、鶴岡氏が言うように、ミアシュマイアーは「大国主義リアリズム」であることは否定できない。でも西側も同じなのだ、という考えもあるわけである。

5. 未解決の「ロシア問題」(P.41-42)

   冷戦終結後のドイツをいかに欧州秩序にとりこむかという「ドイツ問題」は、統一ドイツのNATO帰属という形で解決された。

注 7. ドイツは、第一次、第二次大戦の中心「問題」でもあった。

 これに対しロシアは、冷戦終了後、西側が新生ロシアの民主化と市場経済化を支援し、パートナーとして扱う努力をしてきた(対ロ宥和政策)が、EUやNATOへの加盟を促したわけでもなかった(盟主であるアメリカの指導下に入ることは想像できない)。

注 8.  ゴルバチョフはその希望を与えた。しかしロシアは(中国と同様)、市場経済化は進んだが、政治社会の自由化や民主化は進まず、全体主義的な権威主義は残存した。これが西側の最大の誤算だった。

 東欧のNATO加盟(東方拡大)とロシアとの関係模索は同時並行で進んできたが、後者は中途半端に終わり、ロシアによる2014年のクリミア侵攻で関係は破綻し、ウクライナ侵攻で決定的となった。
 同じEUでも、ロシアに近い東側になるほど(バルト3国、ポーランド、フィンランド、東欧)警戒感は強く、温度差やギャップもあるが、ロシアに対するEU、NATOの一体化は現在のところ、維持・強化されている。
 こうして同じ大陸に住む大国「ロシア(との関係をどうするかという)問題」は解決せず、ポスト冷戦の振出しに戻った観もある。 

6.おわりにかえて(p.42-45)

   これは冷戦後の歴史の最大の分岐点である。
 この戦争に人々がもった衝撃と危機感が、安全保障や国際関係を根本的に見直す決定的な契機になった。
 それは“欧州中心”的だが、近いものに反応するのは当然である。
 その反応は早かったが、そこには安全保障やエネルギー政策の下地があり、現実的な選択肢が準備されてもいた。
 いずれにせよ、冷戦終結後のロシアをめぐる問題はまた振出しに戻り、その帰趨もまだ見えていない。

注9.  著者は「認識」という契機の重要さを指摘する。いくら客観的な事実やしくみがあっても、人々が「衝撃」や「危機」を実感し、認識しなければ、政治は動かない。その意味で、平和にまどろむお茶の間に突然とびこんできたウクライナ侵略の生々しさは、世界を動かす大きな力になった。
(戦争の生々しい報道は、ベトナム戦争へのの反戦運動にもなったが、イラク戦争では周到に隠蔽された。)
 また、”このような戦禍は、中東をはじめ世界各地で起こっているのであり、西欧人の顔をしたウクライナへの身びいき(人種偏向的)な反応だ” という観方も重要だ。でも少なくとも、「身近な」欧州が過敏に反応するのは、著者が言うように自然・当然ではある。
(「身近なもの・仲間の倫理」という問題。)

注10.  最後に、著者の「目覚めたのか」という表現について考えたい。これは著者の立場・観点を表すのでもあるが、「何から」目覚めたのだろうか? 論文の流れから言うと、ロシアへの「宥和政策」の背景になっていた考え、すなわち「ロシアが欧州のような民主主義国家になるという期待」、からの「幻滅」(p.42)であろう。そのような期待を「理想主義」と呼べば、「リアリズム」への目覚めということになるが、「大国主義」的なリアリズムも他方では批判している。いずれにせよ、世界を分断する「自由主義、民主主義、国際規範」VS.「権威主義」といったイデオロギー図式は、まだ活きている。