プーチンは「ネオナチに対する特殊軍事作戦」と称してウクライナに侵攻した。
だが、一般市民を無差別に攻撃すればするほど、それはウクライナ国民全体に対する攻撃ということになる。ミサイルであらゆるところを破壊し、市街地も病院も容赦せず、町をかたっぱしに廃墟にするということは、保護するはずのロシア系住民も含め、ウクライナの土地に暮らす人々を無差別に敵とみなして殺す、ということを表明しているのである。学校や避難所を爆撃して供たちを攻撃するということは、これからウクライナを担う子供たち、そしてその子供たちが生み育てるであろう未来の子供たちをも、全て敵とみなすということである。無抵抗の市民を背後から撃つということは、出会う誰にでもそうするつもりだということである。市民や兵士をロシアに拉致するということは、ロシアへの憎悪を心の底に抱く人々を国内に抱え込むということである。
「ロシア国民の圧倒的多数が政権を支持している」と表明することは、この残忍な戦争を圧倒的多数のロシア国民が後押しているのだ、と表明することである。
そのようにしてロシアは、”きょうだい”だったウクライナの人々を、何世代にも及ぶ敵にしてしまった。
プーチン・ロシアはそれを認めたくないのか、”ロシア系住民を虐殺し、NATOにウクライナを売り渡そうとするネオナチへの特殊軍事作戦”という、色褪せてしまった戦旗をまだ降ろさない。
膨大な難民が西側に渡ったが、ロシアにも何十万もの人たちが移動したという。多くはいわゆるロシア系(親族がいるなど)の人たちや、ルートが選択できなかった人たちだろうが、その人たちの多くは、この戦争の実態を体験し、目撃した人々であるはずだ(”ネオナチに虐待され人”を探さねばならないが、多くはそう言うよう圧力を受けているのだろう)。
開戦から3か月、 ― ロシア国内から外国資本が店を残して次々と引き上げ、かつてない経済制裁が広がり続け、漏れてくる情報は世界中でのロシア非難の大合唱、フィンランドやスウェーデンがNATOに加盟し、スイスまでが離れ、ちょっとした抗議やデモがヒステリックに弾圧され、若い人々が次々と国外に脱出し、一撃でやっつけられるはずのウクライナ軍に押し戻され…。これらの事実を覆い隠すことは難しい。だからこそ「祖国を守るために」と団結する人々も増えるのだろう。そうして、実際は自分たちが始めた戦争が、いつのまにか、自分たちが攻められ、被害者であるかのような戦争に変化し、戦争責任者であった指導者が祖国を守る英雄のようになっていく。いつもそういうパターンだったのではないか。