窓辺の机

窓辺の机から世界を夢想

冷戦、再び

 冷戦中、冷戦後と、西側で中立的立場を貫いてきた北欧の2か国がNATOへの加入を申請した。ロシアと国境を接するフィンランドは、ロシアを警戒しつつもそれなりの関係も維持してきたが、完全に背を向けた。スウェーデンは2世紀におよぶ中立を転換した。(二人の女性首脳が、牙をむいて威嚇する熊に決然たる姿勢で対峙するような姿は、カッコいい。)
   大戦前から中立的立場を保持してきたスイスも西側に動いた。分解の危機にあり、”脳死状態”(マクロン)と自嘲されていたEUは、アメリカとともにかつてなく結束を強化している。
 バルト海をぐるりと囲む北欧2か国のNATO加盟は、ロシアへの強烈なパンチだったのではないか。これがウクライナ侵攻の結果だったとすれば、プーチン・ロシアのもくろみはまさに ”オウン・ゴール” である。

 ロシアと西側世界の間には再び鉄のカーテンが下り、冷戦が再現したといえる。戦場のウクライナは過酷な熱戦を戦っているが、そこはかつての朝鮮半島、ベトナム、アフガニスタンのような、東西陣営の代理戦争の様相も呈している。
 しかし前の冷戦と比べれば「東側」はかなり劣勢でぜい弱に見える。西側は倍近い援軍国を増やしてカーテンは一挙に東方へと移動し、カーテンの東側は、援軍は中小国がぽつぽつとしかない。最大の頼みの中国も、支援の気構えだけは示したものの、コロナ再燃とロックダウンによる経済停滞でそれどころではない。どこかの国のように、核兵器が最大の頼みの綱、ということかもしれない。

 世界の多くの国は、西側には積極的に加担はしないが、特にロシアを支援するのでもなく、インフレや必需品の不足に渋い顔をしている。ワルシャワ条約機構の後釜としてはかなり寂しい協力機構国も、しかたなく会合に顔を出すが、機会があれば抜け出したいといった様子の周辺5か国で、軍事経済規模も小さい。戦術を選ばず、大量破壊使用もちらつかせて暴走する親分に、みな腰が引けている。つまりこの冷戦は、実質ロシア1国と西側との対決に見える。ロシアは最低限の勝利を得たとしても、広大な面積だけを頼りとした、巨大な閉鎖国家の鎧の中に身を閉ざし、”潜水艦のように沈下して" いくように見える。

(以上なら希望的観測すぎるかもしれないが、これはこれで問題である。”巨大な北朝鮮”というのも厄介である。それに地図で見てもとてつもなく広いシベリアと溶ける北極海は未開拓で、潜在的な資源や地政学的フロンティアもありそうだ。)

 しかし今のところ結束の硬い西側の方も、前の冷戦ほどの力と広がりはないように見える。中国、インド、中東、東南アジア、アフリカ、中南米は、以前のようには西側に積極的に加担も協力もせず、距離をおいている。これらの地域は人口でも面積でも、地球のかなり大きな部分を占めている。これらの地域の多くはかつて「第三世界」と呼ばれた国々で、世界を支配してきた西洋の植民地政策と帝国主義、グローバリズムという、数世紀にわたる高圧的な歴史を忘れていないのだ(日本も結局こちら側に位置付けられていて、実際いま西側にいる)。ロシアと対峙している「西側」(欧米と環太平洋国家群)は、環境や資源にまだゆとりがある時代に近代化を先行して成し遂げ、経済と自由民主主義の豊かさと平和を享受してきた国である(戦争も、近代国家同士の互いの内輪もめ・内戦のようなもので、それ以外の地域には大迷惑だった)。

 この対立は、地政学的に見れば、大西洋・太平洋の「シーパワー」国家群と、ユーラシアの「ランドパワー」国家群の対立に見え、イデオロギー的に見れば「自由民主主義」と「権威主義」との対立というふうに描かれる。
 西側は、「自由市場、自由貿易、自由競争」などの資本主義の原則、それと結びついた「言論や政治の自由」という近代社会の価値、また「民族自決、国家主権、国際的ルール」といった近代国家システムを先導し、代表しているという自負がある。他方、いわゆる権威主義的な国家も、資本主義や近代国家システムに依拠し、それを否定することは自己否定にもなるという点で、明らかに劣勢にあるように思える。

 しかしこの違いや分断は、たんに近代化の時間軸の違い(先か後か)にすぎないものを、発展や進歩の度合い、さらには善悪優劣にまで重ね、いわゆる上から目線で見るなら、それがこの暴力的な対立の根っこになっているかもしれない。