窓辺の机

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ミアシュマイアーの「NATO東方拡大」批判論

  欧米とロシアの対立は、2022年2月のウクライナ侵攻で決定的となったが、その亀裂は2014年のクリミア侵攻で生じていた。このときミアシュマイアーは、「NATOの東方拡大がこれを招いたのだ」と批判した。これはプーチン・ロシア側も強調し、現在に続くウクライナ戦争の中心的論点でもあるので、見ておきたい。

 以下は下記の論文の引用・要約とそれへの注釈である。これは 2014年3月のクリミア侵攻後に書かれたもので、今から9年前であるが、今回の侵攻後の見解も基本的には変わっていないようである( ”だから言ったではないか” という声が聞こえてきそうだ)。

『悪いのはロシアではなく欧米だ ― プーチンを挑発した欧米のリベラルな幻想』 
(フォーリンアフェアーズ:2014年9月号掲載論文)

1.引用・要約と注釈(引用や要約は黒字で、注釈は青字で表記する) 

<リベラル派の幻想>

「ウクライナ危機を誘発した大きな責任は、ロシアではなくアメリカとヨーロッパの同盟諸国にある。危機の直接的な原因は、欧米が北大西洋条約機構(NATO)の東方への拡大策をとり、ウクライナをロシアの軌道から切り離して欧米世界に取り込もうとしたことにある。同時に、2004年のオレンジ革命以降のウクライナの民主化運動を欧米が支援したことも、今回の危機を誘発した重要な要因だ。」
 ロシアは90年代からNATO拡大策に強く反対し、親ロシアのヤヌコビッチの追放は「クーデター」であり、「欧米がロシアの裏庭まで」(プーチン)侵入しようとしていると警告してきたのに、「欧米のエリートたちは … “リアリズム(現実主義)のロジックは21世紀の国際環境では重要ではない” と思い込み、法の支配、経済相互依存、民主主義というリベラルな原則を基盤にヨーロッパは統合と自由を維持していくと錯覚していた」。
「アメリカとヨーロッパは、ロシアと国境を接するウクライナを欧米圏に組み込もうと試み、大きな失敗を犯してしまった。その帰結はいまやはっきりしており、今後も現在の間違った政策を続ければ、さらに深刻な結末に直面することになる。」

注 1. 「ロシアの裏庭」。自ら引用しながら、ミアシュマイアーも問題視しないプーチンのこの一言が、ウクライナ問題のポイントでもある。プーチンはこの信念に基づいて戦争をしている。
注 2. 「法の支配、経済相互依存、民主主義というリベラルな原則」は今でも、ウクライナ支援とロシア制裁をする西側のイデオロギーであり、日本も参加する大義名分となっている。
注3.ミアシュマイアーの「さらに深刻な結末」は予言通りになった。

<NATO拡大策という欧米の挑発>

 冷戦終結後、90年代後半になると、クリントン政権とNATOは東方に拡大していく。95年のNATO軍のセルビア介入を経て、2000年代になるとグルジアやウクライナとの関係も視野に入ってくる。それに対し、プーチン政権は08年にグルジアに侵攻。EUも東方パートナーシップなどで対抗し、ウクライナへの経済的、政治的な支援が進む。

注 4. 今から思えば、2008年のグルジア(ジョージア)侵攻が、今日に至る戦争の始まりだったといえる。

<欧米の体制変革戦略>

「NATO拡大策、EUの東方拡大路線、民主化促進政策という欧米の政策は、まさに発火しそうな部分に実質的に油を注ぎ込んでしまった。」 ロシアと欧米の関与が強まり、キエフは混乱、ヤヌコビッチはロシアに脱出。ロシアはこれを欧米支援のクーデターと非難したが、そうみなされても不思議ではなかった。それに対抗し、プーチンはクリミアを侵攻し編入した。

注5.  ミアシュマイアーは、ここに至るウクライナの政治的変動は、欧米の関与・挑発がもたらしたものだ、とする。

<ロシアの立場で考えれば>

「プーチンの行動を理解するのは難しくない。ナポレオンのフランス、ドイツ帝国、ナチスドイツがロシアを攻撃するために横切る必要があった広大な平原・ウクライナは、ロシアにとって戦略的に非常に重要なバッファー国家なのだ。ウクライナをヨーロッパに統合することを決意している政府をキエフに誕生させるのを欧米が助けるという展開を前にすれば、いかなるロシアの指導者もそれを傍観することはなかっただろう。」

注 6.「 ロシアのバッファー国家」。前の「裏庭」よりはましだが、「緩衝地帯」という観点は、ロシアの基本的なスタンスなのであり、ミアシュマイアーは ”それを理解せよ” というわけだ。NATOの東方拡大とは、このロシアの緩衝地帯の浸食でもあったわけだ。

 90年代以降のNATO拡大について、アメリカにもJ・ケナンなどによる異論もあったが、欧米のリベラル派は、「冷戦終結は国際政治を大きく変化させ、これまでヨーロッパを支配してきたリアリストのロジックはすでに新しいポストナショナルな秩序に置き換えられ」「すべてを内包できるリベラルな秩序がヨーロッパの平和を保障する」と考え、「大陸のすべてを西ヨーロッパのような地域にする」ため、「東ヨーロッパで民主化促進策をとり、この地域の経済的相互依存を高め、東ヨーロッパ諸国を国際的制度に統合していった」。

「本質的に、米ロは異なるプレーブックを用いて行動している。プーチンと彼の同胞たちがリアリストの分析に即して考え、行動しているのに対して、欧米の指導者たちは、国際政治に関するリベラルなビジョンを前提に考え、行動している。その結果、アメリカとその同盟諸国は無意識のうちに相手を挑発し、ウクライナにおける大きな危機を招き入れてしまった。」

注 7. このような企図が欧米にあったことは確かだろう。ただし、標題の「リベラル派の誤診」と言うのは手厳しく、後半の「米ロは異なるプレーブックを用いて行動している」という方が穏健ではある。

<ウクライナ支配の野望はもっていない>
<終わりなき欧米の挑発>
<打開策はあるか>
 

 “プーチンはソ連崩壊の失地を挽回しようとしており、それを放置するのはヒトラーへの宥和政策を再現するようなものだ”、という主張もある。しかしプーチンにその意図はなかったし、ロシアにはウクライナどころか東部をも支配・編入する力もない。軍事占領政策がうまくいかないのは、アフガン、ベトナム、イラクで実証済みだ。プーチンの対応は防衛的で、攻撃的ではなく、「正当な安全保障上の懸念」によるものだ。

注 8.「プーチンにその意図はなかった」というのはどうか。ソ連崩壊を「最大の悲劇」とみなし、かつてのロシア帝国(ピョートル、エカテリーナ、ロシア正教)の栄光を取り戻すべく、エネルギーによる経済復興とハイブリッド軍事戦略で自信を強め、帝国主義的な拡大政策へ、 ― という観方は、プーチンの言動やロシアの政策からも裏付けられるような気がする。”ネオナチはむしろプーチン政権の方ではないか“ と。確かに、ヒトラー・ドイツが、第一次大戦の戦後体制に不満をもち、ドイツ系住民が多く住む東欧を保護と生存権確保の名目で併合していった歴史は、それに至る周辺国の当初の宥和政策も含め、このウクライナ侵攻とよく似ている。
   ただ、ロシアがウクライナ全土を占領・支配する力はない、とミアシュマイアーは(現在でも)考えている。

 クリミア編入への経済制裁も限定的だろう。「アメリカと同盟諸国はウクライナを欧米化しようとする計画を放棄し、むしろこの国を、冷戦期のオーストリア同様にNATOとロシア間の中立的なバッファーとして位置づけ」、最終的には「ロシアにも欧米にも依存しない主権国家としてのウクライナを誕生させるべきだ。」
 「“ウクライナにはどの国と同盟関係を結ぶかを決める権利があるし、欧米の参加を求めるキエフの意向を抑え込む権利はロシアにはない” という批判もある。だが、ロシアの立場を無視して、欧米への参加を望むのはウクライナにとって危険な外交オプションだ。残念なことに、大国間政治に支配されている地域では、力と影響力がものを言う。パワフルな国が弱体な国と対立している状況では、自決主義のような抽象的な概念に力はない。」
 ロシアはほっておいても衰退する国家なのに、敵対することでアフガン、イラン、シリア喉の問題解決を難しくし、モスクワと北京を接近させている。このままでは誰もが敗者になる。中立的なウクライナを繁栄させることができれば、道は開かれる。

注 9. このあたりがミアシュマイアーのリアリズムの主張が最も明確に表れている個所だろう。すなわち、
・大国間政治に支配されている地域では力と影響力がものを言う。
・強大国が弱小国と対立している状況では、自決主義のような抽象的な概念は無力だ。
・ゆえにウクライナは「NATOとロシアのバッファー的な中立国」と位置付けるべき。
 ✻ これを鶴岡路人氏は「大国主義」「ロシアファースト」と批判していた(本ブログ:『「鶴岡路人「欧州は目覚めたのか」-要旨と注釈』参照
 「いまのところ防衛的」だったプーチン・ロシアはその後、誰が見ても「攻撃的」になった。それでも、アシュマイアーの論点(“ほっておいても衰退する国家だ”と診立てているが)は、西側世界では少数派だが一定数ある。
 またウクライナを「中立的なバッファー国家」とするという案も、解決策の有力な選択肢のひとつではある。

終わりに
  いずれにせよ、この論文の背景になっている対立・衝突の事実の推移は、「どちらが先か」という物語であり、歴史におなじみの無限スパイラルにもなる。「NATOの東方拡大」が、ソ連崩壊と冷戦終了後の歴史として「事実」であることは確かだが、少なくともウクライナに関しては、客観的な論拠として何があげられるのかという問題があり、他方でロシアが国際ルールを侵犯して軍事侵攻していることは、否定しようのない事実としてある以上、ミアシュマイアーのような議論を継続することは無理があるのではないか。だがプーチン・ロシアがそのような認識を持っており、それがこの戦争の原動力になっていることは確かである。