窓辺の机

窓辺の机から世界を夢想

「誰の」戦争か

 プーチン政権の支持率が8割を超えたとのこと。✻1.
 この数字は国民にも公表されたのだろう。つまりウクライナ侵攻は、単なる”プーチンの戦争”ではなく、国民の圧倒的多数が支持する「ロシアの戦争」になってしまったわけである。その責任は国民も背負う、ということになる。

 古代や中世の王なら、戦争は自分たちの戦争であることを自覚し、(国民というものはまだほとんどなかったから)平民は、「あ、またやってるな」という感じもあったろう。関ケ原の戦いも、農民たちは丘のあぜ道に座って飯を食いながら見物していた、なんて話を聞いたことがある(好きな話だ)。王侯や貴族や武士は、特権や富を持つ代わりに、戦争も自分たちの生業と考え、たいてい、町や村から離れた戦場のフィールドでやっていたのだ(競技場での勝負、といった趣もあった)。領民たちを敵から保護するのも、生活必需品を生産するのが彼らだったからだ。武士は刀を独占し、その刀は敵を斬るためのものだけではなく、自分の腹を切るためのものでもあった。

 近代になって、身分や階級がなくなるとともに、戦争も平等化されて「国民の戦争」になった。

 今の「プーチン・ロシアの戦争」は、皮肉なことに、彼らがそれと戦っていると主張する「ナチス」のケースにとても似ている気がする。ヒトラーが政権を取り、ドイツが戦争に突入し、ユダヤ人を虐殺していった歴史が蘇る。ヒトラーも選挙で政権を取った。周囲の国が、第一次大戦への制裁でドイツを追い詰めた、という背景もあった。国民は ”プロパガンダ” に染まり、戦争を支持した。ユダヤ人のホロコーストや外国での暴虐はあまり知らなかったかもしれないが、あちこちから伝わり、見て見ぬふりをすることも多かったろう。けれども、殺すか殺されるか、勝つか負けるかという戦争になってしまううと、それしか考えなくなる。
 あの戦争やホロコーストを、ヒトラー個人の特異性に集約し、還元してしまいたくなる誘惑にかられる。彼を歴史的に断罪し、その存在の記憶を抹殺し、封印しようとしても、国家と国民がその戦争を行った、という事実は消えない。「プロパガンダで洗脳され、マインドコントロールされていた」というなら、それを許してしまったということである。

 われわれ日本人も、あの戦争を、”ヒロヒトの” とか ”トウジョウの” 戦争とは、ほとんど考えていない。政府を支持し、自分たちも主体的に参加していた、という思いはある。それへの ”一億総懺悔” という言葉もあり、市民を殺戮したアメリカの空襲や核兵器を、どこかで受け入れざるを得ないと考えているところもある。けれども、70年以上も過ぎた終戦記念日の黙とうに、あの戦争に巻き込んだ膨大なアジアの人たちへの追悼は、いまだに含まれていない。 

  
✻1. 次の記事に感銘を受けた。  

 「プーチンの戦争とロシア世論」(石川一洋)2022.4.21 NHK解説アーカイブス 

 この記事を要約する。

・信頼できる独立系メディアの面接調査で、「ロシア軍の軍事行動」の支持が81%、しないが14%だった(3/31)。支持は高齢者ほど多いが、若い人でも70%いた。
・次のことを考慮に入れなばならない。
・「ウクライナをネオナチから開放する」「ロシアの安全保障のため」の戦いで、「残虐行為はウクライナの偽情報だ」といった政府のプロパガンダ。
・戦時下の厳しい法律と取り締まり。反対しにくい雰囲気。
・欧米の激しい制裁と世界的な反ロシアで、かえって反発と愛国心が目覚めた。
・こうした中で 14~20% の人が反対というのは決して少なくない。「不安だ」「暴力は望まない」と考える人はもっと多い。
・だから、反ロシアの気運でロシア人全体、その歴史や文化まで否定するのは行き過ぎだし、かえって逆効果だ。「一般のロシア人とロシア文化は敵ではない。戦争の真実に目を向けてくれ、と粘り強く伝え続けていく必要がある。」国内にとどまって静かに異を唱える人やアーティストもたくさんいることを忘れまい。

 だから石川さんは、これは「プーチンの戦争」としたいのだろうし、最後で語られていることは大事にしたい。
 いずれにせよ、この世論調査の数字は、私たちが目にしてきたウクライナの惨状がロシアでも正確に報道されていれば、一挙に変わってしまうだろう。その意味で、正確な報道というものが(言論の自由とともに)いかに重要か、ということである。 ― このことについては別途考えたい。

 

〔更新:2022/4/30〕

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