窓辺の机

窓辺の机から世界を夢想

ミアシュマイアーの「対中国・エンゲージメント」批判

 

 

   1980年代から築かれてきたアメリカと中国の関係は、ここ10年で徐々に悪化していたが、次第に加速し、亀裂から対立の様相を呈してきた。(まるで、同居パートナーの不仲が嵩じ、一方が「あれだけ良くしてやったのに、このざまか」、他方が「養ってもらったわけじゃない、あんたもいい思いしたろ?」とののしりあい、互いの荷物をまとめ始めた感じである。)

 国際政治のリアリスト:ミアシュマイアーの見解を見てみよう。
 2014年来のウクライナ危機についての彼の見解は、①危機を挑発したのは欧米のNATO東方拡大政策であり、②ウクライナは、大国間の中立的バッファー(緩衝国)と位置付けるべきだ、というものであった。この見解は、現在のロシアの本格的侵攻のあとも変わらないようだ。”ロシア寄り” ともいえるこの見解は、西側では少数であり、”大国主義、ロシア・ファースト”とも批判されうる。
 注 1. 本ブログ:『ミアシュマイアーの「NATO東方拡大」批判論』(2023.3.1) 参照

 しかし対中政策については、ミアシュマイアーの分析はアメリカでは多数派であり、現実もその提言の方向に進んでいる。その論点は以下である。
・これまでのアメリカの「対中エンゲージメント(支援関与政策)」は間違いだった。
・それが中国の台頭を促進してしまった。
・大国同士の対立、新冷戦ともいえるこの状況は、武力衝突の危険も秘めている。
パワーのバランスをとることが重要(だったし、今でもそうだ)。

 アメリカの対ロシア政策、対中国政策、ともに批判的に見ている。だが、NATOの東方拡大政策がロシアの「封じ込め」の方向なら、中国へのエンゲージメントは「支援的、開放的関与」なのだから、両者は対照的で、前者を批判するのなら、後者を支持しそうなものである。そもそも、冷戦の敵側であった二つの大国への政策はどうすればよかったのか。その「失敗」が今日の事態を招いたというのなら、そして今また冷戦が復活しているのなら、これは再検証されねばならない。
 一見すると矛盾する彼の批判と提言に共通しているのは、「自由、市場、民主主義の普遍化」というイデオロギーへの批判とリアリズムである。つまり、
① この誤った信念が、国際政治の根底に働いている大国主義のメカニズムを隠蔽する
② それ故、衝突を防ぐパワーバランスの最適解を求めよ 、
ということのようである。

 その論点を、次の論文をもとに確認する。
 J・ミアシュマイアー『米中対立と大国間政治の悲劇 ― 対中エンゲージメントという
 大失態』
(『フォーリン・アフェアーズ・レポート』:2021年12月号・掲載論文)

要旨と注釈 (ミアシュマイアーの論点は黒字で、私の注釈は青字で記す)

<米中逆転>

 アメリカは冷戦に勝利した。しかし「”リベラリズムの必然的な勝利によって、大国間紛争は過去のものになった”  という間違った論理に導かれ、民主・共和双方の政権は、”中国がより豊かになるのを助けるエンゲージメント政策” をとった。対中投資を促進し、国際貿易体制に中国を統合した。”そうすれば、中国は平和を愛する民主国家になり、米主導の国際秩序の責任ある利害共有者になる” と考えたからだ。」

 しかし北京はリベラリズムも国際秩序の現状も受け入れず、より抑圧的、野心的になり、米中は新冷戦状態になった。これは米ソ冷戦よりも危険だ。
 だが中国がアジアの覇権国をめざすのをアメリカは非難できない。アメリカも西半球で覇権を求め、手に入れてきた。この競争と衝突は必然であり、大国間政治の悲劇だ。
「対中エンゲージメント政策は、近代史上、最悪の戦略的失策だったかもしれない。」

注 2. ではどうすればよかったのか? ミアシュマイアーは、「パワーバランス」を重視して中国の成長を遅らせるべきだった、としている。でも「遅らせる」だけにすぎない。

<リアリズムの視点でみれば>

  1960年代の対ソ封じ込め政策のため、中国と接近したのは賢明だった。だが冷戦が終わったとき、中国の成長は、新たな大国がライバルとして登場することを意味していた。「人口が多く、豊かな国は、例外なく、その経済力を軍事力に置き換えていくものだ。中国が、その軍事力をバックにアジアに覇権を築き、それ以外の地域にもパワーを展開するのはほぼ間違いなかった。そうなれば、アメリカは中国のパワーを、巻き返すか、封じ込めるしか選択肢はなくなり、危険な安全保障競争が加速される。」

 注 3. 現在の状況はミアシュマイア―の見立ての通りになっている。「危険な安全保障競争」は、ロシアのウクライナ侵攻でさらに「加速」している。

  なぜ大国はぶつかるのか。それは、いざこざとなっても仲裁や援助をしてくれるより大きなパワーがないからだ。安全の保証もないアナーキーな世界では、覇権と抑止ができる最強の国となるべきだ。これがリアリストのロジックであり、アメリカは20世紀をつうじてそうしてきた。中国も同じルールブックで行動しているのに、「気高いアメリカ」と「冷酷な権威主義の中国」などと考える。「しかし国際政治はそういうものではない。民主国家であれ、非民主国家であれ、すべての超大国は、根本的にはゼロサムゲームのなかでパワーを競い合うしかない。」中国は、その修正主義的な目標を実現すべく、成長している。

 注 4. 「自由・民主主義 vs. 権威・独裁主義」。これが、特に西側のイデオロギー図式になっている。ウクライナ支援は「国際ルール、自由、民主主義」という価値を守るための戦いでもある。しかし、「権威主義」とされる国家を除いたとしても、この旗印に世界の国々が結集しているわけではない。国連という場では、ロシアの侵攻を批判する国が多数であり、その意味では「国際ルール」はかろうじて確保できても、「自由、民主主義のための闘い」というイデオロギーとなると、温度は下がり、その旗印に集まるのは「西側」諸国ばかり、といった風情もある。世界の多くは、ミアシュマイアーが言う「リアリスとのロジック」で動いていて、遠いウクライナは「欧州戦争」の前線にすぎないのだ、という様相も呈している(中東、アフリカ、アジアのあちこちでも、過酷な戦争は長く続いているではないか、と)。 
 とはいえ「自由と民主主義」という価値は、“西側の旗印にすぎない”と片付けるわけにもいかないし、アナーキーな世界では国家のパワーが全てなのだ、と醒めてしまうわけにもいかない。「民主主義 vs. 権威主義」というイデオロギー図式には注意すべきだが、それがある程度当てはまるることも、否定できない(いわゆる「権威主義」国家に言論や政治の自由がなく、民主的選挙も行われていないなど)。

 注 5. (中国の)「修正主義」。これは、“従来の「歴史」は欧米中心のイデオロギーとパワーで作られたシナリオであり、それを修正すべきだ” という考えである。これは近代史、特に20世紀の世界大戦についての歴史観への疑念として、ドイツや日本のような敗戦国には特に根強くある。この観方は、批判および主張のための論拠として、「自民族・自国の伝統文化の価値と利益」を軸とするシナリオ=ナショナリズム、を好む(”欧米は、普遍的価値観を掲げながら、内実は彼らの価値と文化を押し付けてきたのだ” という批判と、”だから我々自身の価値と文化を主張すべきなのだ” という主張)。ウクライナ戦争を戦うプーチン・ロシアも、アメリカ・ファーストを主張するトランプ・アメリカもこれを好む。そう考えればナショナリズムは、イデオロギーの普遍性が揺らいできた現代世界では大きな流れになっている。

<とられなかった道筋><エンゲージメントと封じ込め><失敗した実験>

 1980年代以降、歴代大統領は中国に「最恵国待遇」の地位を与えてきた。これは冷戦終結でうち切るべきだったが、1990年代、2000年代も続き、WTOへの加入を促し、最先端技術の輸出や移転も野放しで、世界市場へのアクセスを得た中国は成長を加速させ、強大化していった。
 ワシントンの政策は誤りで、これをもっと制限し、中国の発展を遅らせ、パワーバランスを有利に傾けることができたはずだ。冷戦後、「ワシントンのエスタブリッシュメントはリベラリズムの勝利に酔いしれ」「世界の平和と繁栄は民主主義を広め、開放的な国際経済を促進し、国際機関を強化することで最大化できる」と考えた。アメリカが中国を国際経済システムに統合すれば、中国は発展して人権を尊重する民主国家となり、責任あるグローバルなアクターに成熟していく、と。こうして中国の成長を恐れたリアリストと違い、エンゲージメント派は中国の成長を歓迎した。ブッシュからオバマにいたる歴代大統領は、天安門事件にも関わらずエンゲージメントを踏襲し、ビジネス界も中国を下請け工場・潜在市場とみなし、主要メディアや論客とともに、期待をもって関与・参入していった。
 そうして「中国経済は空前の成長を遂げたが、リベラルな民主国家にも責任ある利害共有者にもならなかった。」
 2017年のトランプ政権で対中貿易戦争と封じ込めへとようやく流れが変わり、バイデン政権になって対立が表面化してきた。

注 6. このあたりの経緯は、佐藤亮『米中対立―アメリカの戦略転換と分断される世界』(2021年7月:中公新書)。

<熱い戦争の危険><アメリカが作り出したライバル>

  「冷戦バージョン2は、すでに現実になっているし、二つの冷戦を比較すると、米中対立のほうが米ソ対立よりも熱い戦争にエスカレートする危険が高い。」「潜在的なパワーという側面で、すでに中国はいかなる時期のソビエトよりもアメリカに迫っている。」
 冷戦期のソ連は、ナチスドイツとの戦いからの長い復興、東欧での勢力維持、中国の離反といった負担を抱えたうえに、人口と潜在的経済力でもいまの中国にははるかに及ばなかった。にも関わらず、アメリカはモスクワを、世界の邪悪な共産主義の司令塔として恐れるイデオロギー的な誤りも犯した。現在の中国も、共産主義(その方が停滞してよかったろう)というより「資本主義を受け入れた権威主義国家」であり、「中国ナショナリズム」というイデオロギーで、アヘン戦争以来の「屈辱の歴史」を修正しようと、東アジアの覇権を求めて動いている。ここには欧州の、ある意味では安定していた「鉄のカーテン」がないぶん、偶発を含めた衝突の危険はより大きい。
 これは、対中エンゲージメントを捨てない穏健な協力関係の模索では困難であり、安全保障競争と適切な軍備プレゼンスによる抑止を図っていくしかない。このやっかいな危機管理リスクは、自分の敵を育ててしまったこれまでの政策が払うべき代償である。

注 7. (相手や関係の)「認識」と(そこで描かれる)「シナリオ」で、世界の風景が創られ、事態の進行がこうも変わってしまう。これが人間世界であり、国家のあいだでもそれは同じだ。アメリカの大学や企業に中国の留学生や研究者があふれ、活発な交流が行われていた「グローバル村」の時代が遠い夢のようだ。思えば、世界を分断していた冷戦の時代にも、「自由主義」や「社会主義」というユニバーサルな夢はあった。唯一残ったのは「ナショナリズム(民族国家主義)」というイデオロギーか。もっともこれは近代以降(あるいは有史以来?)、一貫して歴史の底流にあったイデオロギーかもしれない。
注 8. ミアシュマイアーの分析は説得力がある。しかしその処方箋は、パワーバランスを維持する(軍事力を含む国力を保持し、相互の牽制と抑制バランスで、秩序と平和を維持する)ということ以上ではないようだ。あまり夢がなく燃えない話なのだが、それが現実、ということか。

ミアシュマイアーの「NATO東方拡大」批判論

  欧米とロシアの対立は、2022年2月のウクライナ侵攻で決定的となったが、その亀裂は2014年のクリミア侵攻で生じていた。このときミアシュマイアーは、「NATOの東方拡大がこれを招いたのだ」と批判した。これはプーチン・ロシア側も強調し、現在に続くウクライナ戦争の中心的論点でもあるので、見ておきたい。

 以下は下記の論文の引用・要約とそれへの注釈である。これは 2014年3月のクリミア侵攻後に書かれたもので、今から9年前であるが、今回の侵攻後の見解も基本的には変わっていないようである( ”だから言ったではないか” という声が聞こえてきそうだ)。

『悪いのはロシアではなく欧米だ ― プーチンを挑発した欧米のリベラルな幻想』 
(フォーリンアフェアーズ:2014年9月号掲載論文)

1.引用・要約と注釈(引用や要約は黒字で、注釈は青字で表記する) 

<リベラル派の幻想>

「ウクライナ危機を誘発した大きな責任は、ロシアではなくアメリカとヨーロッパの同盟諸国にある。危機の直接的な原因は、欧米が北大西洋条約機構(NATO)の東方への拡大策をとり、ウクライナをロシアの軌道から切り離して欧米世界に取り込もうとしたことにある。同時に、2004年のオレンジ革命以降のウクライナの民主化運動を欧米が支援したことも、今回の危機を誘発した重要な要因だ。」
 ロシアは90年代からNATO拡大策に強く反対し、親ロシアのヤヌコビッチの追放は「クーデター」であり、「欧米がロシアの裏庭まで」(プーチン)侵入しようとしていると警告してきたのに、「欧米のエリートたちは … “リアリズム(現実主義)のロジックは21世紀の国際環境では重要ではない” と思い込み、法の支配、経済相互依存、民主主義というリベラルな原則を基盤にヨーロッパは統合と自由を維持していくと錯覚していた」。
「アメリカとヨーロッパは、ロシアと国境を接するウクライナを欧米圏に組み込もうと試み、大きな失敗を犯してしまった。その帰結はいまやはっきりしており、今後も現在の間違った政策を続ければ、さらに深刻な結末に直面することになる。」

注 1. 「ロシアの裏庭」。自ら引用しながら、ミアシュマイアーも問題視しないプーチンのこの一言が、ウクライナ問題のポイントでもある。プーチンはこの信念に基づいて戦争をしている。
注 2. 「法の支配、経済相互依存、民主主義というリベラルな原則」は今でも、ウクライナ支援とロシア制裁をする西側のイデオロギーであり、日本も参加する大義名分となっている。
注3.ミアシュマイアーの「さらに深刻な結末」は予言通りになった。

<NATO拡大策という欧米の挑発>

 冷戦終結後、90年代後半になると、クリントン政権とNATOは東方に拡大していく。95年のNATO軍のセルビア介入を経て、2000年代になるとグルジアやウクライナとの関係も視野に入ってくる。それに対し、プーチン政権は08年にグルジアに侵攻。EUも東方パートナーシップなどで対抗し、ウクライナへの経済的、政治的な支援が進む。

注 4. 今から思えば、2008年のグルジア(ジョージア)侵攻が、今日に至る戦争の始まりだったといえる。

<欧米の体制変革戦略>

「NATO拡大策、EUの東方拡大路線、民主化促進政策という欧米の政策は、まさに発火しそうな部分に実質的に油を注ぎ込んでしまった。」 ロシアと欧米の関与が強まり、キエフは混乱、ヤヌコビッチはロシアに脱出。ロシアはこれを欧米支援のクーデターと非難したが、そうみなされても不思議ではなかった。それに対抗し、プーチンはクリミアを侵攻し編入した。

注5.  ミアシュマイアーは、ここに至るウクライナの政治的変動は、欧米の関与・挑発がもたらしたものだ、とする。

<ロシアの立場で考えれば>

「プーチンの行動を理解するのは難しくない。ナポレオンのフランス、ドイツ帝国、ナチスドイツがロシアを攻撃するために横切る必要があった広大な平原・ウクライナは、ロシアにとって戦略的に非常に重要なバッファー国家なのだ。ウクライナをヨーロッパに統合することを決意している政府をキエフに誕生させるのを欧米が助けるという展開を前にすれば、いかなるロシアの指導者もそれを傍観することはなかっただろう。」

注 6.「 ロシアのバッファー国家」。前の「裏庭」よりはましだが、「緩衝地帯」という観点は、ロシアの基本的なスタンスなのであり、ミアシュマイアーは ”それを理解せよ” というわけだ。NATOの東方拡大とは、このロシアの緩衝地帯の浸食でもあったわけだ。

 90年代以降のNATO拡大について、アメリカにもJ・ケナンなどによる異論もあったが、欧米のリベラル派は、「冷戦終結は国際政治を大きく変化させ、これまでヨーロッパを支配してきたリアリストのロジックはすでに新しいポストナショナルな秩序に置き換えられ」「すべてを内包できるリベラルな秩序がヨーロッパの平和を保障する」と考え、「大陸のすべてを西ヨーロッパのような地域にする」ため、「東ヨーロッパで民主化促進策をとり、この地域の経済的相互依存を高め、東ヨーロッパ諸国を国際的制度に統合していった」。

「本質的に、米ロは異なるプレーブックを用いて行動している。プーチンと彼の同胞たちがリアリストの分析に即して考え、行動しているのに対して、欧米の指導者たちは、国際政治に関するリベラルなビジョンを前提に考え、行動している。その結果、アメリカとその同盟諸国は無意識のうちに相手を挑発し、ウクライナにおける大きな危機を招き入れてしまった。」

注 7. このような企図が欧米にあったことは確かだろう。ただし、標題の「リベラル派の誤診」と言うのは手厳しく、後半の「米ロは異なるプレーブックを用いて行動している」という方が穏健ではある。

<ウクライナ支配の野望はもっていない>
<終わりなき欧米の挑発>
<打開策はあるか>
 

 “プーチンはソ連崩壊の失地を挽回しようとしており、それを放置するのはヒトラーへの宥和政策を再現するようなものだ”、という主張もある。しかしプーチンにその意図はなかったし、ロシアにはウクライナどころか東部をも支配・編入する力もない。軍事占領政策がうまくいかないのは、アフガン、ベトナム、イラクで実証済みだ。プーチンの対応は防衛的で、攻撃的ではなく、「正当な安全保障上の懸念」によるものだ。

注 8.「プーチンにその意図はなかった」というのはどうか。ソ連崩壊を「最大の悲劇」とみなし、かつてのロシア帝国(ピョートル、エカテリーナ、ロシア正教)の栄光を取り戻すべく、エネルギーによる経済復興とハイブリッド軍事戦略で自信を強め、帝国主義的な拡大政策へ、 ― という観方は、プーチンの言動やロシアの政策からも裏付けられるような気がする。”ネオナチはむしろプーチン政権の方ではないか“ と。確かに、ヒトラー・ドイツが、第一次大戦の戦後体制に不満をもち、ドイツ系住民が多く住む東欧を保護と生存権確保の名目で併合していった歴史は、それに至る周辺国の当初の宥和政策も含め、このウクライナ侵攻とよく似ている。
   ただ、ロシアがウクライナ全土を占領・支配する力はない、とミアシュマイアーは(現在でも)考えている。

 クリミア編入への経済制裁も限定的だろう。「アメリカと同盟諸国はウクライナを欧米化しようとする計画を放棄し、むしろこの国を、冷戦期のオーストリア同様にNATOとロシア間の中立的なバッファーとして位置づけ」、最終的には「ロシアにも欧米にも依存しない主権国家としてのウクライナを誕生させるべきだ。」
 「“ウクライナにはどの国と同盟関係を結ぶかを決める権利があるし、欧米の参加を求めるキエフの意向を抑え込む権利はロシアにはない” という批判もある。だが、ロシアの立場を無視して、欧米への参加を望むのはウクライナにとって危険な外交オプションだ。残念なことに、大国間政治に支配されている地域では、力と影響力がものを言う。パワフルな国が弱体な国と対立している状況では、自決主義のような抽象的な概念に力はない。」
 ロシアはほっておいても衰退する国家なのに、敵対することでアフガン、イラン、シリア喉の問題解決を難しくし、モスクワと北京を接近させている。このままでは誰もが敗者になる。中立的なウクライナを繁栄させることができれば、道は開かれる。

注 9. このあたりがミアシュマイアーのリアリズムの主張が最も明確に表れている個所だろう。すなわち、
・大国間政治に支配されている地域では力と影響力がものを言う。
・強大国が弱小国と対立している状況では、自決主義のような抽象的な概念は無力だ。
・ゆえにウクライナは「NATOとロシアのバッファー的な中立国」と位置付けるべき。
 ✻ これを鶴岡路人氏は「大国主義」「ロシアファースト」と批判していた(本ブログ:『「鶴岡路人「欧州は目覚めたのか」-要旨と注釈』参照
 「いまのところ防衛的」だったプーチン・ロシアはその後、誰が見ても「攻撃的」になった。それでも、アシュマイアーの論点(“ほっておいても衰退する国家だ”と診立てているが)は、西側世界では少数派だが一定数ある。
 またウクライナを「中立的なバッファー国家」とするという案も、解決策の有力な選択肢のひとつではある。

終わりに
  いずれにせよ、この論文の背景になっている対立・衝突の事実の推移は、「どちらが先か」という物語であり、歴史におなじみの無限スパイラルにもなる。「NATOの東方拡大」が、ソ連崩壊と冷戦終了後の歴史として「事実」であることは確かだが、少なくともウクライナに関しては、客観的な論拠として何があげられるのかという問題があり、他方でロシアが国際ルールを侵犯して軍事侵攻していることは、否定しようのない事実としてある以上、ミアシュマイアーのような議論を継続することは無理があるのではないか。だがプーチン・ロシアがそのような認識を持っており、それがこの戦争の原動力になっていることは確かである。

 

鶴岡路人『欧州は目覚めたのか』 ― 要旨と注釈

 

鶴岡路人
『欧州は目覚めたのか』― ロシア・ウクライナ戦争で変わったものと変わらないもの
(東京大学出版会『ウクライナ戦争と世界のゆくえ』2022年8月所収) 

 ロシアがクライナを侵略してから1年になる。バイデン大統領がキーウを電撃訪問し、プーチンが年次教書演説をした。戦況とこれをめぐる国際情勢は基本的に変化なく、長期戦の様相となってきた。世界は、コロナ禍を脱しつつあり、ウクライナ戦争も関心が日常化しつつあるなか、それをめぐる国際情勢の緊張と危険性はむしろ少しずつエスカレートしている。
 鶴岡氏(✻1.) のこの論文は、ウクライナ侵攻から半年の時点で書かれ、現在はそれから半年経っているが、その論点はほとんど今でも当てはまる。以下、その要旨と注釈で、これまでの主流と、これからの流れを考えていきたい。
 ✻1. ちょうど氏の著書が出版されたばかりである。『欧州戦争としてのウクライナ侵攻』(新潮選書)
   2023.2.20

要旨と注釈

はじめに(p.31-32)

 ウクライナ戦争は、特に欧州に衝撃を与え、ドイツの政策転換、フィンランドとスウェーデンのNATO加盟、EUのウクライナ支援と武器供与など、冷戦後のみならず、第二次大戦後の欧州国際秩序と安全保障の根本的な変更という歴史的転換点をもたらした。

注 1. 「冷戦後のみならず、第二次大戦後」の「歴史的転換」という見方に賛成だが、これは「欧州」だけでなく、世界に波及する歴史的転換ですらある、と思う。

1. ドイツの「転換点」(とその限界)(P.32-34)

  ドイツの社会民主党はこれまで、エネルギーを中心とした関係強化が欧州の安定にもなるという宥和政策で、ロシアとの関係を重視してきた。しかしショルツ政権はウクライナ侵攻でこの方針を撤回、ノルド・ストリーム2の停止、ウクライナへの武器供与、国防費増額(2%)を打ち出した。それはしばらく迷走するが、政策の大転換であった。

注 2.  宥和政策 
 メルケル前首相は長期にわたり国際的な存在感と指導力を発揮してきた。東ドイツ出身ということもあったか、ロシアや中国とも関係を促進してきた。エネルギーや経済での関係促進は、統一ドイツの復興と発展も促した。今回の侵攻で、その政策への批判も出た。しかしそれはドイツのみならず、冷戦終結後のグローバリズムにより、旧共産圏や第三世界を自由市場経済と民主主義に取り込んでいこうという、西側世界が思い描いたプランでもあった(このイデオロギーはまだ続いている)。アメリカも中国に期待し、積極的な宥和政策で関与してきた。しかし現在は、その失望への反動的な反応に転じている。

注 3.  制裁の姿勢や殺傷能力のある武器供与(特に戦車)で慎重だったドイツも、1月、戦車供与に同意した。

2. NATO 加盟に向かうフィンランドとスウェーデン(p34-38)

 両国はそれまで、対外的に「中立」あるいは「非同盟」であったが、政治的自由、人権、民主主義という価値では常に西側であり、冷戦後から EU や NATO との関係を強め、協力関係を築き、加盟の条件は整っていた。
 ロシアは「NATO拡大」阻止でけん制してきたが、2月のウクライナ侵攻で加盟への動きが決定的になる。
 両国の加盟でNATOは強化され、対ロ抑止・防衛体制など、同盟全体の安全保障はバルト諸国との連携とともに強化されることになった。
 これに対しトルコは駆け引きをして存在感を主張したが、最終的に合意。

注 4. 「NATO拡大」へのロシアの反撃がウクライナ侵攻だったともいえるが、結果的にそれがさらにNATO拡大強化を招くことに(”プーチンのオウンゴール”)。後から見れば、この両者(EUとロシア)の対立の流れは、「冷戦終了」後から始まっていたわけである。

3. エネルギーの「脱ロシア」にむかうEU (P.38-39)

 欧米は経済制裁とともに、石炭、石油、天然ガスの脱ロシア化に舵を切る。大手産業もロシアから撤退。
   これはむろんEU側にも高い代償が伴う。しかしこれは、欧州が主導してきたグリーンエネルギー政策の後押しにもなる。

注 5.  「化石燃料依存からの脱却」という戦略は欧州の中心的な政策となりつつあったので、「対ロ依存脱却」は、その期間をいかに短縮できるか、という技術的な問題である。

4.維持されるNATOの中心性 (P.39-40) 

 NATOの集団安全保障は米国を軸に維持され、北欧、東欧へとさらに拡大強化されていくことになった。
 その拡大強化が分断をもたらすとの指摘もある。しかし「ロシアとの」安全保障(の模索)から、「ロシアからの」安全保障への転換、を招いたのはロシアである。
 「NATOの拡大と分断」に批判的だったケナンやミアシュマイアーの議論もある。しかしこうした論点は大国主義的であり、「ロシア・ファースト」であろう。

注 6.  これは重要な論点。
 著者が言う「大国主義」「ロシア・ファースト」とは、欧州や西側の国際秩序と安全保障を、ロシアと国境を接する国(北欧・東欧諸国)よりも、大国ロシアとの関係の方を優先して求める考え方である。
 大局的なリアリズムではそうなるのだろう。その見方は「ロシアの緩衝地帯」という観点を重視し、西欧からも度々侵略されてきたロシアの歴史や願望を事実として「理解する」ことであるが、ロシアへの理解という傾斜も持つことになる(日本にもそのような論者もいる)。しかしこれは、「緩衝地帯」とされる国のことを軽視している。緩衝地帯として「中立」となった方が安全保障に資するとしても、また、”占領・征服するつもりはない、向こうの味方にならなければいいのだ”と言われても、それは、そこを挟む両者を起点とする論理である。主権をもつ独立国家なら、どのような選択をするかは自由なはずである。

 ミアシュマイアーの論点(「悪いのはロシアではなく欧米だ ―プーチンを挑発した欧米のリベラルな幻想」2014; については稿を改めるが)は、ウクライナでの2004年のオレンジ革命から2013年のマイダン革命とその後のクリミア侵攻に至るまでの混乱を、“NATOの拡大政策、西側のウクライナへの過剰な関与が、ロシアの反抗を招いた”とするものである。その論点はプーチン・ロシアの主張でもあるが、その後のウクライナへの全面侵攻を予測するものにもなっている。
 このような論点もあることは認識すべきだし、一度これで「西側の論点」を相対化すべきだろうが、鶴岡氏が言うように、ミアシュマイアーは「大国主義リアリズム」であることは否定できない。でも西側も同じなのだ、という考えもあるわけである。

5. 未解決の「ロシア問題」(P.41-42)

   冷戦終結後のドイツをいかに欧州秩序にとりこむかという「ドイツ問題」は、統一ドイツのNATO帰属という形で解決された。

注 7. ドイツは、第一次、第二次大戦の中心「問題」でもあった。

 これに対しロシアは、冷戦終了後、西側が新生ロシアの民主化と市場経済化を支援し、パートナーとして扱う努力をしてきた(対ロ宥和政策)が、EUやNATOへの加盟を促したわけでもなかった(盟主であるアメリカの指導下に入ることは想像できない)。

注 8.  ゴルバチョフはその希望を与えた。しかしロシアは(中国と同様)、市場経済化は進んだが、政治社会の自由化や民主化は進まず、全体主義的な権威主義は残存した。これが西側の最大の誤算だった。

 東欧のNATO加盟(東方拡大)とロシアとの関係模索は同時並行で進んできたが、後者は中途半端に終わり、ロシアによる2014年のクリミア侵攻で関係は破綻し、ウクライナ侵攻で決定的となった。
 同じEUでも、ロシアに近い東側になるほど(バルト3国、ポーランド、フィンランド、東欧)警戒感は強く、温度差やギャップもあるが、ロシアに対するEU、NATOの一体化は現在のところ、維持・強化されている。
 こうして同じ大陸に住む大国「ロシア(との関係をどうするかという)問題」は解決せず、ポスト冷戦の振出しに戻った観もある。 

6.おわりにかえて(p.42-45)

   これは冷戦後の歴史の最大の分岐点である。
 この戦争に人々がもった衝撃と危機感が、安全保障や国際関係を根本的に見直す決定的な契機になった。
 それは“欧州中心”的だが、近いものに反応するのは当然である。
 その反応は早かったが、そこには安全保障やエネルギー政策の下地があり、現実的な選択肢が準備されてもいた。
 いずれにせよ、冷戦終結後のロシアをめぐる問題はまた振出しに戻り、その帰趨もまだ見えていない。

注9.  著者は「認識」という契機の重要さを指摘する。いくら客観的な事実やしくみがあっても、人々が「衝撃」や「危機」を実感し、認識しなければ、政治は動かない。その意味で、平和にまどろむお茶の間に突然とびこんできたウクライナ侵略の生々しさは、世界を動かす大きな力になった。
(戦争の生々しい報道は、ベトナム戦争へのの反戦運動にもなったが、イラク戦争では周到に隠蔽された。)
 また、”このような戦禍は、中東をはじめ世界各地で起こっているのであり、西欧人の顔をしたウクライナへの身びいき(人種偏向的)な反応だ” という観方も重要だ。でも少なくとも、「身近な」欧州が過敏に反応するのは、著者が言うように自然・当然ではある。
(「身近なもの・仲間の倫理」という問題。)

注10.  最後に、著者の「目覚めたのか」という表現について考えたい。これは著者の立場・観点を表すのでもあるが、「何から」目覚めたのだろうか? 論文の流れから言うと、ロシアへの「宥和政策」の背景になっていた考え、すなわち「ロシアが欧州のような民主主義国家になるという期待」、からの「幻滅」(p.42)であろう。そのような期待を「理想主義」と呼べば、「リアリズム」への目覚めということになるが、「大国主義」的なリアリズムも他方では批判している。いずれにせよ、世界を分断する「自由主義、民主主義、国際規範」VS.「権威主義」といったイデオロギー図式は、まだ活きている。

 

止めることができる災厄

 コロナへの規制が解除され、気持ちのいい季節になって、世界でも日本でも、街角や観光地に人出が戻ってきた。
 コロナはまだくすぶっていて、冬にむかって次の波が心配だが、このままうまくいけば通常のインフルエンザのようになりそうな気配もある。3年前までのあの日常が戻り、食事や旅行やコンサートに行けるのだ。それは、それまでは当たり前と思っていた平和な日常で、この世界的なパンデミックの中でそれがいかに貴重なものであるか、私たちは改めて思い知った。

 そういう平和な日常生活が戻っても、わたしたちの人生には多くの難題や宿命がある。地震や洪水などのさまざまな自然災害はなくなることはなく、地球温暖化でますますその規模は大きくなっている。拡大する不平等、エネルギー問題、少子高齢化、増える借金など、社会や経済への新たな課題もある。
 また老いや病気や事故は、どんなに文明が進歩して理想的な社会ができても、避けることのできない宿命である。
 そのような難題や宿命と向き合いながら、私たちは平和な日常性活という場所を、個人と社会で(親しい人たちと、知らない人々どうしで)力を合わせて守っていかねばならない。

 それなのに、そういう平和な日常生活に侵入し、ミサイルや戦車で破壊していく国がある。逃げ惑う人々を追い回して殺戮していく。額に汗して働き、家に戻ってひとときの安らぎを得、また明日の難題に立ち向かう、誰もが我慢したり助け合ったりして支えているそうした日常を奪い、破壊していく。自分(たち)の目的や欲求を、戦争という手段で達成しようとする国家と権力の意思。防ぐことが容易ではない、あるいはできない災厄がこの世の生には尽きないのに、防ぎ、やめることができるそのような災厄を作り出す人間たちもいる。

 私たちはこれらをも、人生と社会にともなう不可避の難題や宿命に加えなければならないのだろうか。

冷戦は終わっていなかった

                         「ひとつの地球」は幻想なのか?/

”冷戦終結・冷戦後”という歴史区分/

 少し前までは「冷戦終結(冷戦終結後)」という歴史区分が定説のようになってきた。1989年のベルリンの壁崩壊とその後のソ連解体により、20世紀の後半を特徴づけた対立が終わり、世界は次の歴史ステージに入ったのだ、と(「グローバル化の時代」の始まりなど)。

 だがそもそも、「冷戦」は終わってはいなかったようなのだ。
 ひとつは、ロシアによるウクライナ侵攻である。ソ連は解体したが、その混乱から復活したロシアは、過去の栄光の再現を目指す選択をした。終わったはずの冷戦の火種はまだくすぶっていて、再発火してしまったかのようである。ヨーロッパとロシアが一挙に分断し、亀裂と壁が急速に再現された。これは一時的な危機ではなく、かなり長期に及ぶ構造的な変換の様相を呈している。
 もうひとつは、これで生まれた国家グループの対立の風が地球を回り、冷戦の東側の前線だった東アジアに到達し、そこで燃え続けていた火に酸素を供給し始めたことである。朝鮮半島と台湾。そもそもここでは「冷戦終結」などしていなかったのだ。 その意味で「冷戦終結」とは、ヨーロッパ中心の歴史時間ともいえる。

 これは東アジアだけではない。中東、アフリカ、中南米、南・東アジアなど、欧米以外の世界の多くの地域でも、濃淡の違いはあれ、冷戦からの火種のくすぶりは消えていなかったように見える。今回のロシアへの制裁に世界の多くの国が賛同せず、温度差があるのは、そのような「西側」との歴史時間の違いがあることを示している。

東アジアの冷戦の続き

 ともあれ、東アジアの国際政治体制は冷戦体制から基本的に変化していなかった状態だったのが、再び緊張化し、再燃の気配さえある。

1.朝鮮半島の分断と対立。
2.台湾と中国の分断と対立。
3.中国と米・日(<西側))の対立
4.ロシアと米・日(<西側))の対立
5.中ロの接近

日本と東アジアの歴時時間

 朝鮮半島と台湾は、かつて日本が植民地支配した国であり、米ソ冷戦以前からの因縁が絡んでいることを忘れるわけにはいかない。
 拉致問題の進展がいかに困難かということを通じて日本人は、北朝鮮という国、そして朝鮮半島の問題がいかに困難な問題であるか、それがもつ地理的・歴史的すそ野の大きさを体感的に知っている。
 日本人は敗戦以来、アメリカの占領政策に甘えながら(J・ダワー:〔1〕)、朝鮮半島での植民地支配やそこで繰り広げられた悲惨な朝鮮戦争をスルーし、自国の戦争の記憶、自国の復興と発展に視野を限定してきた。朝鮮戦争は「特需」にさえなって戦後復興のバネになった。「もはや戦後ではない」という言葉さえ忘れた日本人は、朝鮮半島からいつまでも送られてくる反感の根深さに当惑するが、そこはまだ「戦後」ではないのだ〔2〕

 台湾は、その距離と、間に沖縄という別の喉のトゲのような存在もあり、朝鮮半島とは異なる地理的・歴史的経緯もあって、反日感情は大陸ほどではなく、それゆえ歴史的な体感はもう少しゆるい(鈍い)ものだったように思える。

 いずれにせよ、大陸の端っこにあって孤立しているのに、日本のお隣の国々(朝鮮半島、台湾、中国、ロシア)はどれも近くて遠い国で、足が遠のいてしまっている。日本人の体はと心はもうすっかりその反対側、広大な太洋の彼方にあるアメリカやヨーロッパに向いてきた。

 もっとも、隣り合う国はむしろ仲が悪く、警戒心の方が勝るというのは、世界でもたいていそうだった。特に国家が成長して力をもつ時代にはたいてい、隣通しから戦争になった。近代文明の鋳型を作ったヨーロッパがその典型で、その成長と発展は戦争の歴史でもあり、その土地は飽くこともなく膨大な血を吸ってきた(フランス国歌などはそれを鼓舞さえしている)。EUというのは、そのような隣り合う国の対立を、ある範囲内(キリスト教文明圏といった)ではあるが、なんとか解決しようとする画期的な試みではある。

新冷戦/冷戦の続き/第二幕…?

 ともかく、21世紀になって、人類はひとつの地球を共有し、新しい時代に向かって歴史を前進させた、ように思ったたが(H・ロスリング:〔3〕)、あの分断と対立の歴史はそう簡単に終わってはいなかったようである。


〔1〕ジョン・ダワー『敗北を抱きしめて』

 日本が国家崩壊まで戦ったのは、大陸側とは反対のアメリカだった。そのアメリカに完膚なきまで叩きのめされ、占領され、国家の指導者も処刑された。けれども日本はその敗北を占領軍アメリカとともに「抱きしめ」、アメリカ国家とその文明を模範として追いかけていく。

〔2〕前の冷戦を今でも戦っているのは世界でもここだけである。日本の植民地支配が、朝鮮半島の民族自決と国家建設を遅らせてしまった、ということはないだろうか。”(日本の進出は)アジアの近代化に貢献した”という修正主義者の主張もあるが、少なくとも政治に関しては非協力的であり抑圧的でさえあったろう。何より、軍隊を派遣したという事実は修正しようがない。

〔3〕ハンス・ロスリング『ファクトフルネス』

 

 

 

ゴルバチョフ逝く

ゴルバチョフ元大統領が亡くなった。
その後の過酷な経歴と年齢を考えると、ずいぶん長生きをされたと思うが、親しくしていた人が示唆したように、今のロシアに絶望して生きる気力を失ったのではないか。

悔しかったろうと思う。
ペレストロイカとグラスノスチ。ゴルバチョフはその改革によって、西側世界のような自由で民主的なロシア(ソ連)を夢見た。彼が冷戦を終結させた最大の政治家であることは間違いない。

でもそれは、ロシアにとっては敗北でもあったのだ。国民の多くが冷戦の終結を、ゴルバチョフが構想した、ロシアの新生の歴史としてよりも、偉大だったソ連の敗北と消滅の歴史として、胸に刻んでいった。希望よりも失望と屈辱の方が育っていった。

プーチンはそれらの遺恨を何世紀にも溯ってかき集め、怪物になった。
ウクライナ侵略は、ゴルバチョフが創ろうとした改革と自由と平和による世界での共存の夢を、再び粉砕してしまった。
それは天安門広場でも見られた”誤った夢想”として、消されつつあるように見える。

息を引き取るとき、ゴルバチョフ氏の脳裏にはどんな光景が浮かんでいたのだろうか。
花を置いたあと、その死顔をしばらく見つめていたプーチンのまなざしは暗かった。
老いた政敵を幽閉状態に置いて復讐を遂げた思いだったのか。その小さな勝利を人々に見せたかったのだろうが…。

ウクライナ侵略の後、世界がロシアに望んだのは、この独裁者が失脚し、1人の英知をもつ人物 ― まさにゴルバチョフのような人 ― が出てきて、あのような政策を打ち出し、ロシアを世界に向けて開いていくことだった。そして今でも私たちは、それ以外の希望的構想を描くことができないでいる。そうであれば、ゴルバチョフの夢はまだ生きている。

二人のまなざし、未来に向けたあの明るいまなざしと、過去に向けたこの暗いまなざし、 その違いは消すことはできない。