窓辺の机

窓辺の机から世界を夢想

ミアシュマイアーの「対中国・エンゲージメント」批判

 

 

   1980年代から築かれてきたアメリカと中国の関係は、ここ10年で徐々に悪化していたが、次第に加速し、亀裂から対立の様相を呈してきた。(まるで、同居パートナーの不仲が嵩じ、一方が「あれだけ良くしてやったのに、このざまか」、他方が「養ってもらったわけじゃない、あんたもいい思いしたろ?」とののしりあい、互いの荷物をまとめ始めた感じである。)

 国際政治のリアリスト:ミアシュマイアーの見解を見てみよう。
 2014年来のウクライナ危機についての彼の見解は、①危機を挑発したのは欧米のNATO東方拡大政策であり、②ウクライナは、大国間の中立的バッファー(緩衝国)と位置付けるべきだ、というものであった。この見解は、現在のロシアの本格的侵攻のあとも変わらないようだ。”ロシア寄り” ともいえるこの見解は、西側では少数であり、”大国主義、ロシア・ファースト”とも批判されうる。
 注 1. 本ブログ:『ミアシュマイアーの「NATO東方拡大」批判論』(2023.3.1) 参照

 しかし対中政策については、ミアシュマイアーの分析はアメリカでは多数派であり、現実もその提言の方向に進んでいる。その論点は以下である。
・これまでのアメリカの「対中エンゲージメント(支援関与政策)」は間違いだった。
・それが中国の台頭を促進してしまった。
・大国同士の対立、新冷戦ともいえるこの状況は、武力衝突の危険も秘めている。
パワーのバランスをとることが重要(だったし、今でもそうだ)。

 アメリカの対ロシア政策、対中国政策、ともに批判的に見ている。だが、NATOの東方拡大政策がロシアの「封じ込め」の方向なら、中国へのエンゲージメントは「支援的、開放的関与」なのだから、両者は対照的で、前者を批判するのなら、後者を支持しそうなものである。そもそも、冷戦の敵側であった二つの大国への政策はどうすればよかったのか。その「失敗」が今日の事態を招いたというのなら、そして今また冷戦が復活しているのなら、これは再検証されねばならない。
 一見すると矛盾する彼の批判と提言に共通しているのは、「自由、市場、民主主義の普遍化」というイデオロギーへの批判とリアリズムである。つまり、
① この誤った信念が、国際政治の根底に働いている大国主義のメカニズムを隠蔽する
② それ故、衝突を防ぐパワーバランスの最適解を求めよ 、
ということのようである。

 その論点を、次の論文をもとに確認する。
 J・ミアシュマイアー『米中対立と大国間政治の悲劇 ― 対中エンゲージメントという
 大失態』
(『フォーリン・アフェアーズ・レポート』:2021年12月号・掲載論文)

要旨と注釈 (ミアシュマイアーの論点は黒字で、私の注釈は青字で記す)

<米中逆転>

 アメリカは冷戦に勝利した。しかし「”リベラリズムの必然的な勝利によって、大国間紛争は過去のものになった”  という間違った論理に導かれ、民主・共和双方の政権は、”中国がより豊かになるのを助けるエンゲージメント政策” をとった。対中投資を促進し、国際貿易体制に中国を統合した。”そうすれば、中国は平和を愛する民主国家になり、米主導の国際秩序の責任ある利害共有者になる” と考えたからだ。」

 しかし北京はリベラリズムも国際秩序の現状も受け入れず、より抑圧的、野心的になり、米中は新冷戦状態になった。これは米ソ冷戦よりも危険だ。
 だが中国がアジアの覇権国をめざすのをアメリカは非難できない。アメリカも西半球で覇権を求め、手に入れてきた。この競争と衝突は必然であり、大国間政治の悲劇だ。
「対中エンゲージメント政策は、近代史上、最悪の戦略的失策だったかもしれない。」

注 2. ではどうすればよかったのか? ミアシュマイアーは、「パワーバランス」を重視して中国の成長を遅らせるべきだった、としている。でも「遅らせる」だけにすぎない。

<リアリズムの視点でみれば>

  1960年代の対ソ封じ込め政策のため、中国と接近したのは賢明だった。だが冷戦が終わったとき、中国の成長は、新たな大国がライバルとして登場することを意味していた。「人口が多く、豊かな国は、例外なく、その経済力を軍事力に置き換えていくものだ。中国が、その軍事力をバックにアジアに覇権を築き、それ以外の地域にもパワーを展開するのはほぼ間違いなかった。そうなれば、アメリカは中国のパワーを、巻き返すか、封じ込めるしか選択肢はなくなり、危険な安全保障競争が加速される。」

 注 3. 現在の状況はミアシュマイア―の見立ての通りになっている。「危険な安全保障競争」は、ロシアのウクライナ侵攻でさらに「加速」している。

  なぜ大国はぶつかるのか。それは、いざこざとなっても仲裁や援助をしてくれるより大きなパワーがないからだ。安全の保証もないアナーキーな世界では、覇権と抑止ができる最強の国となるべきだ。これがリアリストのロジックであり、アメリカは20世紀をつうじてそうしてきた。中国も同じルールブックで行動しているのに、「気高いアメリカ」と「冷酷な権威主義の中国」などと考える。「しかし国際政治はそういうものではない。民主国家であれ、非民主国家であれ、すべての超大国は、根本的にはゼロサムゲームのなかでパワーを競い合うしかない。」中国は、その修正主義的な目標を実現すべく、成長している。

 注 4. 「自由・民主主義 vs. 権威・独裁主義」。これが、特に西側のイデオロギー図式になっている。ウクライナ支援は「国際ルール、自由、民主主義」という価値を守るための戦いでもある。しかし、「権威主義」とされる国家を除いたとしても、この旗印に世界の国々が結集しているわけではない。国連という場では、ロシアの侵攻を批判する国が多数であり、その意味では「国際ルール」はかろうじて確保できても、「自由、民主主義のための闘い」というイデオロギーとなると、温度は下がり、その旗印に集まるのは「西側」諸国ばかり、といった風情もある。世界の多くは、ミアシュマイアーが言う「リアリスとのロジック」で動いていて、遠いウクライナは「欧州戦争」の前線にすぎないのだ、という様相も呈している(中東、アフリカ、アジアのあちこちでも、過酷な戦争は長く続いているではないか、と)。 
 とはいえ「自由と民主主義」という価値は、“西側の旗印にすぎない”と片付けるわけにもいかないし、アナーキーな世界では国家のパワーが全てなのだ、と醒めてしまうわけにもいかない。「民主主義 vs. 権威主義」というイデオロギー図式には注意すべきだが、それがある程度当てはまるることも、否定できない(いわゆる「権威主義」国家に言論や政治の自由がなく、民主的選挙も行われていないなど)。

 注 5. (中国の)「修正主義」。これは、“従来の「歴史」は欧米中心のイデオロギーとパワーで作られたシナリオであり、それを修正すべきだ” という考えである。これは近代史、特に20世紀の世界大戦についての歴史観への疑念として、ドイツや日本のような敗戦国には特に根強くある。この観方は、批判および主張のための論拠として、「自民族・自国の伝統文化の価値と利益」を軸とするシナリオ=ナショナリズム、を好む(”欧米は、普遍的価値観を掲げながら、内実は彼らの価値と文化を押し付けてきたのだ” という批判と、”だから我々自身の価値と文化を主張すべきなのだ” という主張)。ウクライナ戦争を戦うプーチン・ロシアも、アメリカ・ファーストを主張するトランプ・アメリカもこれを好む。そう考えればナショナリズムは、イデオロギーの普遍性が揺らいできた現代世界では大きな流れになっている。

<とられなかった道筋><エンゲージメントと封じ込め><失敗した実験>

 1980年代以降、歴代大統領は中国に「最恵国待遇」の地位を与えてきた。これは冷戦終結でうち切るべきだったが、1990年代、2000年代も続き、WTOへの加入を促し、最先端技術の輸出や移転も野放しで、世界市場へのアクセスを得た中国は成長を加速させ、強大化していった。
 ワシントンの政策は誤りで、これをもっと制限し、中国の発展を遅らせ、パワーバランスを有利に傾けることができたはずだ。冷戦後、「ワシントンのエスタブリッシュメントはリベラリズムの勝利に酔いしれ」「世界の平和と繁栄は民主主義を広め、開放的な国際経済を促進し、国際機関を強化することで最大化できる」と考えた。アメリカが中国を国際経済システムに統合すれば、中国は発展して人権を尊重する民主国家となり、責任あるグローバルなアクターに成熟していく、と。こうして中国の成長を恐れたリアリストと違い、エンゲージメント派は中国の成長を歓迎した。ブッシュからオバマにいたる歴代大統領は、天安門事件にも関わらずエンゲージメントを踏襲し、ビジネス界も中国を下請け工場・潜在市場とみなし、主要メディアや論客とともに、期待をもって関与・参入していった。
 そうして「中国経済は空前の成長を遂げたが、リベラルな民主国家にも責任ある利害共有者にもならなかった。」
 2017年のトランプ政権で対中貿易戦争と封じ込めへとようやく流れが変わり、バイデン政権になって対立が表面化してきた。

注 6. このあたりの経緯は、佐藤亮『米中対立―アメリカの戦略転換と分断される世界』(2021年7月:中公新書)。

<熱い戦争の危険><アメリカが作り出したライバル>

  「冷戦バージョン2は、すでに現実になっているし、二つの冷戦を比較すると、米中対立のほうが米ソ対立よりも熱い戦争にエスカレートする危険が高い。」「潜在的なパワーという側面で、すでに中国はいかなる時期のソビエトよりもアメリカに迫っている。」
 冷戦期のソ連は、ナチスドイツとの戦いからの長い復興、東欧での勢力維持、中国の離反といった負担を抱えたうえに、人口と潜在的経済力でもいまの中国にははるかに及ばなかった。にも関わらず、アメリカはモスクワを、世界の邪悪な共産主義の司令塔として恐れるイデオロギー的な誤りも犯した。現在の中国も、共産主義(その方が停滞してよかったろう)というより「資本主義を受け入れた権威主義国家」であり、「中国ナショナリズム」というイデオロギーで、アヘン戦争以来の「屈辱の歴史」を修正しようと、東アジアの覇権を求めて動いている。ここには欧州の、ある意味では安定していた「鉄のカーテン」がないぶん、偶発を含めた衝突の危険はより大きい。
 これは、対中エンゲージメントを捨てない穏健な協力関係の模索では困難であり、安全保障競争と適切な軍備プレゼンスによる抑止を図っていくしかない。このやっかいな危機管理リスクは、自分の敵を育ててしまったこれまでの政策が払うべき代償である。

注 7. (相手や関係の)「認識」と(そこで描かれる)「シナリオ」で、世界の風景が創られ、事態の進行がこうも変わってしまう。これが人間世界であり、国家のあいだでもそれは同じだ。アメリカの大学や企業に中国の留学生や研究者があふれ、活発な交流が行われていた「グローバル村」の時代が遠い夢のようだ。思えば、世界を分断していた冷戦の時代にも、「自由主義」や「社会主義」というユニバーサルな夢はあった。唯一残ったのは「ナショナリズム(民族国家主義)」というイデオロギーか。もっともこれは近代以降(あるいは有史以来?)、一貫して歴史の底流にあったイデオロギーかもしれない。
注 8. ミアシュマイアーの分析は説得力がある。しかしその処方箋は、パワーバランスを維持する(軍事力を含む国力を保持し、相互の牽制と抑制バランスで、秩序と平和を維持する)ということ以上ではないようだ。あまり夢がなく燃えない話なのだが、それが現実、ということか。